――料理人を目指したキッカケ
船上のコックになって世界中を巡りたかった
料理に携わっていれば、お腹を空かすことがないと思った
CHEF’Sシェフインタビュー
■坂井宏行/『ラ・ロシェル』オーナーシェフ
- #首都圏
- #フランス料理
プロフィール
坂井 宏行(さかい ひろゆき)
1942年 鹿児島県に生まれる。17 歳でフランス料理の世界に入り、「ホテル新大阪」で修業を始める。19 歳でオーストラリアに渡り「ホテルオリエンタル」にて1 年半修行し帰国。日本で修行を重ねた後、青山「ココ・パームス」「西洋膳所ジョン・カナヤ麻布」でシェフを務める。1980年 38 歳で独立。「ラ・ロシェル」をオープンしオーナーシェフとなる。
1994年 当時人気番組であったフジテレビ「料理の鉄人」に出演。1999年 フジテレビ「完全なる料理の鉄人」で最強鉄人となる。ほかテレビ出演・著作多数。
- シェフインタビュー
- インタビュアー紹介・レポート
- お店を代表する3品
シェフインタビュー
Episode-1
ー料理人を目指したキッカケは何ですか?
坂井シェフ
今まで何百回も聞かれている質問だけど、僕は3歳の時に戦争で父を亡くしていて
日本中がひもじい時代でしたから、食べたい物も食べられない時代に育ったので、
そういう中でも自分が料理に携わっていけば、お腹を空かすことはないかなと。
それが正直な話ですよね。
ひもじい思いをしないですむというのが根本にあることです。
朝鮮から引き上げて来たからおふくろの兄貴の家の離れに住んでいて、
非常に厳しい時代を過ごしてきて、その中でお腹が減るというのが一番辛い経験だった。
それで料理人を目指したということもひとつですね。
―改めまして料理人を目指したキッカケは何ですか?
坂井シェフ
僕は中学時代に川とか山とか行って、鮎とか鰻とか捕って、
家族の食事をそれぞれが作っていた時代だったので、その延長線上に料理の仕事があった。
僕は船のコックさんになりたかったんですよ。
船に乗って世界中を周ってみたいという夢があって、
後々船に乗るコックさんになるんですけど、それが料理人になったキッカケかな。
またおふくろが忙しい時に手伝いができればと思ったこともあったかな。
―でも一番にはやはりご自身も食べるために、という気持ちが強かったということですか。
坂井シェフ
そうですね。その頃は日本中がそういう時代でしたからね。
学校の弁当なんてサツマイモでしたからね。
焼いたサツマイモを新聞紙に包んで学校に持って行って、それほどうちは貧乏でしたから。
でもおふくろが言っていたのは、気持ちだけは貧乏人にならなくていいと。
そういう時代ではあったけど、うちは親父もいなかったから、警察沙汰だけにはなるなとか、
気持ちまでも貧乏人になる必要はないと、そういう思いが強い人(母)だったから。
Episode-2
―数ある料理ジャンルの中から、このジャンルを選んだ理由
白いコックコート、高い帽子
まずは姿かたちから入りました
ー数ある料理ジャンルの中から、このジャンルを選んだ理由は何ですか?
坂井シェフ
まずいつか海外に行きたいという思いと、あと僕は嫌でもまず恰好から入る方なので、
白いコックコート着て高い帽子をかぶって、その自分が仕事をするユニフォーム着た姿に惚れてた。
陳さんがかぶってるアンパンみたいな帽子は嫌だし、道場さんの鉢巻も嫌だしね。
異国の食文化だけれどフランス料理を目指せばいつかは行けるだろうと、
まずは姿かたちから、ということはありましたね。
Episode-3
―料理人として忘れないようにしている心構え
自分が楽しんで料理を作ることが一番です
ー料理人として、忘れないようにしている心構え(意識)はありますか?
坂井シェフ
料理を作る過程の中で、自分が楽しんで料理を作ることが一番だと思うんですよ。
自分が料理を義務で作ったら絶対美味しくないし、お客さんに伝えることは出来ないし、
まず自分が楽しんで料理を作ることが一番大事だと思います。
今までのスタッフにも言っていますよ「まず仕事を楽しめ」と。
そうじゃないとそこから先が見えてこないので。それが一番大事にしていることですね。
その中で技術的なものは年数を重ねれば上達するから、その中で作る気持ち、
それをどうやってお客さんに伝えるのかが一番大事だと思う。
―坂井シェフの忘れないようにしている心構えとは
坂井シェフ
楽しむことです。100%ずっと続けようと思ったら絶対無理なので、
80%をキープしていれば仕事は楽しいし、お客さんにもプレッシャーを与えないし、
緊張感も出るし、100%、120%を毎日続けることは不可能なので、それは望まないですね。
Episode-4
―影響を受けたココロに残る料理
「ウッフ・ア・ラ・キャビア」です
ー影響を受けた(心に残っている)料理を教えてください。
坂井シェフ
自分が料理人になって一番初めにフランスに行かせてもらって影響を受けたのは、
日本とフランスは文化が違うけど、「食」というところで密着しているところがある。
その中で一番思い出に残っているのが、「ル・パクトール」というレストランがあるんだけど、
卵にキャビアを詰めてウォッカで温めた料理、それを一番最初に食べさせてもらった時は感動でした。
「キャビアって何で温めるんだ?」と思った。
半熟卵の上にキャビアを山ほどのせて、それを銀のお皿にのせて、
そこにブランデーをかけて温めちゃうんですよ。それを温めたところを食べるんですよ。
あれは今でも忘れられない逸品ですよね。普通はキャビアを温めて食べるなんてあり得ないですよね。
我々からすると。だから感動しましたね。今でも思います。
それをパクトールという可愛いお店でやっているんですけどね。
―その衝撃を受けた料理からご自身が変わったことはありますか?
坂井シェフ
僕は実際にフランスの調理場で仕事をした経験がないんですよ。
同じ年代の人達は皆フランスに勉強しに行ったりしていた頃に、たまたま僕はチャンスが無かった。
その頃は日本で懐石料理の勉強をしていたので、それが今の僕のスタイルの基本になっている。
僕が独立する前に入っていた六本木の「ジョン金谷」という
日光金谷ホテルの金谷鮮治という人に出会ってから、自分の料理というものがどんどん変わってきた。
それは彼の生き方だとか、物を大切にすることだとか、そういう教えを受けた人です。
彼が六本木に約45~50年くらい前の話ですが、その頃に店を出した時に、
「これからは良い時代が来る、脆弱な時代が来るから、労働者を対象にするのではなく、
ホワイトカラーの人達を対象とする時代が来る」と言われ、
その人たちに楽しんでもらうには日本の懐石のスタイルのような、
少しずつ数を出すスタイルを金谷さんが取り上げていた。
僕はフランス料理を勉強する中で、日本料理の懐石料理を勉強しろと言われて、
最初はすごく抵抗がありました。「なんで今更?」って。
でも彼は時代の先を見る先見の明がある人だった。
彼に出会ったおかげで今の僕があると言っても過言ではないです。
―「ル・パクトール」の逸品は坂井シェフにとって重要な一品でしたね。
坂井シェフ
日本でそれを初めてやったときには、自分で見よう見まねでやったのですが、
それはお客さんにも反響があったし、でもキャビアが高いじゃないですか、
だから後々それを僕はウニに変えたんですよ。それを今も各店舗でやっています。
Episode-5
―影響を受けた人
日光金谷ホテルの金谷鮮治氏です
ー影響を受けた人物はいますか?
坂井シェフ
今まで3人いるけれども、金谷鮮治氏と小原流家元の小原豊雲氏、
東邦生命ビルの太田清蔵氏の3人に10年間隔で出会ったのです。
それが一番の僕の料理人人生の中で彼らから受けた影響っていうのはめちゃくちゃ大きいですね。
―中でもやはり一番は?
坂井シェフ
金谷鮮治。金谷鮮治氏はすごくオシャレな人でね。ものを大事にしろと言われた。
30万円あったら30万円のジャケットを1着作るか、10万円のを3着作るか、
どちらを選ぶかといえば、30万円のを1着作り大事に大事に使いなさいと教えてくれた人ですね。
―色々な意味で影響をお受けになったんですね。
坂井シェフ
そうですね。金谷鮮治に出会っていなかったら、たぶん今の僕はないですね。
それほど影響を受けた人ですね。約10年いましたからね。
Episode-6
―過去に「もうダメだ!」と思うような試練
バブルが弾けて予約がゼロという日が続いて、借金はあるし従業員は抱えているし、「これで俺の人生も終わりだ」と思った
ー過去に「もうダメだ!」と思うような試練はありましたか?
坂井シェフ
ありますよ!一番始めに青山の小原流会館からこのビルの32階に移った時が、
バブルが弾ける2年位前だったんだけど、「こんなに儲かるのか!」と思ったのですが、
それがバブルが弾けてあの広いフロアーの予約がゼロとかいう日が続いて、
「これで俺の人生ももう終わりだな」と思った。借金はあるし、従業員は抱えているし。
ビルの32階が強化ガラスで窓が開かないんです。あれが開いていたら飛び降りていました。
その何年か前に友人が失敗して自分の店が入っていたビルから飛び降りた人がいて、
彼の心境を考えると同じ心境だったと思います。それほど切羽つまっていましたね。
―それでも続けられたという強い気持ちがあったのは、どんなところだったのですか
坂井シェフ
俺は料理人だから最低家族は絶対に養っていける。
結婚していたので、カレー屋でもやればいいか、自分がもうダメだって思うんじゃなくて、
他の道は何かないかなと考えた時に、家族を養っていくそういう思いだけで頑張ってきた。
ラッキーな時代でもあったんです。
けれどバブルが弾けてどうしようかなと思っていた時期に、料理の鉄人の話が来て、、
32階の眺望は良いし広いし、一般のレストランだけでやっていくには大変ですから、
レストランブライダルを仕掛けて行ったのが、運が開けてきた。
レストランブライダルをやろうと思ったのも、
僕達の同僚が港区芝のプレスセンターハウスで、
そこのシェフがレストランウェディングをやっていて、
いしだあゆみとショーケンが結婚したのがそこだった。
そこから色々教えてもらって、段々と上手くいった。
―坂井シェフのもうダメだという試練はバブル崩壊の時ですか
坂井シェフ
そうですね。
―そのとき心の支えとなったのはご家族というですよね。
坂井シェフ
家族もそうですが、スタッフですね。
レストランビジネスを始めていく中で一番大事なことは何だと問うと、
皆お客さんが一番だと言うんです。でも俺は違うと。
一番大事なのはスタッフであって、その次が家族であって、3番目がお客さん。
お客さんが1番だと思ってしまうと、家族もスタッフもプレッシャーがかかってしまう。
スタッフも余裕がなければ良いものはできない。
―坂井シェフチーム一丸となって乗り越えた試練でしたね
坂井シェフ
そうですね。その時から残っているスタッフもいっぱいいるのですが、
スタッフがいなければ今はないと思います。
Episode-7
―ホテルや有名店で修行されていた時に描いていた夢は
小さな店でもいいからトップに立ちたい!
Episode-8
―今のご自身を作り上げた原動力
健康です
チャンスが巡ってきた時に受け入れる気力と体力がないとダメでしょ
Episode-9
―向上心(モチベーション)を持続させるためにしていること
オシャレです
何でもいいやと思ったら、皆もそういう目でしか見ないです
Episode-10
―料理づくりのインスピレーションを感じるコトやモノ
違うジャンルの人達の考え方を素直に聞くことが大事
Episode-11
-料理に対しての価値観が変わったエピソードはありますか。
自分の価値観というより、お客さんが価値を感じていただく料理が一番
Episode-12
-日本料理の勉強をされていたとお聞きしていますが、なぜ日本料理だったのですか?
金谷鮮治さんの影響
Episode-13
-フレンチと和のテイストを組み合わせる上で、一番のポイントはどこですか?
色んな人の料理を食べること
Episode-14
-料理でこだわっている(ゆずれない)ことと、その理由を教えてください。
楽しむことだし、食材を見る目を養うこと
Episode-15
-調理器具でこだわっている(ゆずれない)ことと、その理由を教えてください。
ピカピカに磨いておくこと
Episode-16
-自分がイメージした料理を実際に一皿にして提供するまでには どのような試行錯誤をしていますか?
一番最たるものが、フォアグラのコロッケです
Episode-17
-プロの料理人にとってレシピの存在とその価値とは何でしょうか?
レシピはあくまでもレシピ。作る人によって全然違う。
Episode-18
-独立を決めたキッカケ(タイミング)は何ですか?
料理人になったその瞬間です
Episode-19
-最高のおもてなしとはなんでしょうか?
人によっておもてなしの受け取り方は違いますが、要はお客さんを見る目です。
Episode-20
ー長年、名店として愛されるお店を維持していく秘訣は何ですか?
スタッフとのコミュニケーション
Episode-21
ー離職率が高い業界ですが、すぐに辞めていってしまう人に共通して欠けている事はありますか?
夢を見すぎることです
Episode-22
-若い料理人に求めるものは何ですか?
「料理人として生きていくんだ」という信念です。
Episode-23
-ジャンルを超えた料理仲間とのお付き合いがあると思いますがそれが良かった点は何ですか?
料理だけの仲間というのはダメなんです。仕事だけでつながっているとライバル心がどうしても出てきてしまいます。
Episode-24
-料理人人生で一番感謝している事は何ですか?
家族だろうな・・・
Episode-25
-料理人人生における最終的な目標は何ですか?そのために取り組んでいることはありますか?
「アイツなんで元気なんだろう」って言われるくらい元気でいたいです
Episode-26
-ズバリ!一流の料理人とは何ですか?
皆が「アイツの言っていることは一流だ」と思うような行動をすることです。
Episode-27
-フランス料理を仕事にする場合 個店(レストラン)とホテルでは 仕事内容に違いはありますか?
ホテルのシェフと一般の店舗のシェフとは180度違うと思います
Episode-28
-フレンチシェフとしてお酒が弱くても長く続けていける秘訣を教えてください。
飲めないけれど味はわかるという事が大事だと思います。
Episode-29
-坂井シェフは多くの料理を作ってきておられますが1番の自信作はなんですか?
「これはムッシュの料理だな」と必ず皆が分かる料理があります。
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